虚しい政務官 [国内政治]
なぜこんなことを書くのかといえば、以前から大村氏は年金行政についても言い訳に終始するバタバタしたコメントしかいえないし、なんというか、政治的思考に乏しいと思われるからである。一言でいえば、政務官の器ではない。どういう政治的配慮が働いて彼を政務官にとりたてたのかわからないが、舛添氏の人事采配であったとすれば、いささか疑問である。
元旦の『朝まで生テレビ』をみていて、この確信が強くなった。辻元氏と大村氏のやりとりを聞いていれば、誰の目にも軍配の行方はあきらかである。だから、辻元氏が「なにゆうてんのかわからへん」といったとき、同じ感覚を抱いた方も多かったのではないか。ワタクシももちろんそのひとりである。そして、すぐさま大村氏が辻元氏の発言に対し、「頓珍漢なこというな」と反発したのであるが、これがまたピエロのようで虚しかった。
物事には建前と本音がある。今回の朝生のテーマは労働問題であった。とりわけ焦点は派遣労働についてであった。派遣労働の問題性は解説するまでもなく周知のことになっている。大村氏は本音も建前もいわない。どの道、批判される立場なのだから方向を定めるべきであるのに、彼には軸足がない。
大村氏は野党対策的ガス抜き装置で「言い訳幸兵衛」だから、もう彼は括弧にくくっていいのである。辻元氏はもう彼を相手しないことである。たとえ対決すべき政党所属の大村氏であるとしても、辻元氏自身の無駄を心配する。「グリーンディール」を国会でも提案したのであるから、そちらを詰めて政策を提言してもらった方が国民のためになるし、政治家辻元としても生産性がある。
日銀からマクドナルドまでつながる切れない蜘蛛の糸 [国内政治]
景気回復を前提にすると約束しても、消費税法改正を遮二無二実現しそうです。すでに公明党を説き伏せています。こうした消費税アップがアジェンダになっている財政状況は、日本経済の死に体を国内外にいいふらしているようなものです。それで「脱出」をいえる心臓は、さすがは茂の孫という貴族性の臓器でしょう。自民党は下野という形で国民に謝罪し、歴史的に反省しなければなりません。いつもいっている「解党的出直し」を本気でやるべきでしょう。
こうした政治状況の窒息をさらに埋葬にまで先導するのが、皮肉にも日銀でした。日銀短観はアナウンス効果の恐怖を知りつつも、「景気は悪化している」といわざるをえませんでした。
トヨタショックやソニーショックが日本に暗雲をもたらし、太平洋の向こうでは、フォード・モーター、ゼネラル・モーターズ、クライスラーのビッグ3がガケップチに立っているからです。自然の摂理に逆らい、東からの低気圧となって押し寄せているといえるでしょう。これはすぐに台風に変質します。この超強力凶悪な台風は、オズの魔法使いのように、最終的にメルヘンをキャリーしてくれる保証はまったくありません。
さらには銀行の銀行の立場を守るべき日銀が、コマーシャルペーパーを買い取る動きもみせています。これは間接金融の禁じ手を実行するに等しく、その破綻は日本を恐慌に陥れることでしょう。アイスランドやジンバブエは対岸の火事ではありません。
日銀のこうした2つの作業は、やむをえないものかもしれません。前者はアナウンスですからまだしも、後者は悲惨です。グリーンスパンが謝罪したような議会演劇が、数年後の国会で再現されることは、聴衆の立場として面白いのでしょうか。議会が国民の日常生活に浅いところでも深いところでもつながっているかぎり、自分で自分を笑うという、笑えない聴衆を、聴衆そのものが演じなければならないということになります。オーディエンスにアクターを要求する政治です。その時給が定額給付金とすれば、作り笑いも極まるということです。だが、それこそが、国民主権ということなのでしょう。
「おい、地獄さ行ぐんだで!」ではじまり、「そして、彼等は、立ち上がった――もう一度!」で終了する小説が大層売れているようです。雇用情勢は悪化し、ニート60万人、フリーター180万人を数える現実は、ひょっとすれば「ホームレス予備軍」の生産を意味するかもしれません。彼らが多数となり、都会を彷徨うあるいは漂うほかなくなるのかもしれません。ワタクシは、実際、水谷氏とは目的が違いますけれども、大阪はミナミの街を夜回りします。PCを抱えて、あるいはマクドナルドに、あるいは隠れ家的居酒屋にと。マクドナルドはイロイロな人間模様があって、若い方から初老の夫婦まで吸収しています。始発を待つわけでもない行き場のない人びとが、数百円で席を占領しています。ワタクシもその一人としてPCボードをたたきまくっているわけです。煙と体臭と入り混じった空間は「地獄」的環境です。深夜4時にたたきだされるあの人たちは、その後、何処へいくのでしょうか。わかりません。しかしまた、この空間に舞い戻ってきます。
ちょっと前までは、「プータロー」と笑って済ませて自己の将来に多少の希望と期待を寄せていた若い人たちは、100年に一度の「地獄」に遭遇し、その未来が濁ってきています。革命的伝統のない我が国ではありますが、西洋18世紀後半に匹敵するアクションを、合法的支配の下で実現できないものでしょうか。みながあきらめかけている政治に再び魂を入れるのは、投票用紙という武器しかいまのところありません。武器を武器と認識できる正気を保てているのかどうか、これをマクドナルドの住人に確かめる選挙が、春までに告知されることを願っています。
日銀からマクドナルドまでつながる切れない蜘蛛の糸は、芥川でさえ描けないものです。切れるから蜘蛛の糸なのに、切れない蜘蛛の糸。しかも現代の蜘蛛の糸にはバラのような棘があり、縄化しています。では、1億2千万人がつかまっても切れない現代の縄は、一体、どこから垂れ下がってくるのでしょうか。それは神仏が製造・用意してはくれません。自ら紡ぎだすほかありません。しかしそれは自己責任の紐とは別の紐をあざなっていなければならないものと思うのです。すなわち、あざなえる縄は自己責任の紐とライフラインの紐と、さらにもう1本の「知恵の紐」とであざなわれなければならないと思われるのです。この「知恵の紐」をどう作るかが問題なわけです。そしてそれが、知恵の輪なので、なかなか解けないというわけです。
歴史的敗北で [国内政治]
続投表明とは、ぜんぜん意味がわからない。安倍氏は筋の通った考え方のできない人なのだろう。
なぜ、「美しい国作りという基本路線は国民にご理解いただいている」と「思っている」といえるのであろうか。突きつけられた批判票は国民の憤怒と血でまみれている。投票箱には国民の悲痛な叫びが吹き込まれているはずである。
総辞職、総選挙で、今一度、信を問え。
記事転載(許可有) [国内政治]
-以下、「反戦な家づくり」(明月さん)より転載いたします-
憲法、なかでも9条が変えられることに反対するブロガーの皆さん。
7月の参議院選挙で、改憲に反対する候補者を、ひとりでも多く当選させ、改憲に賛成する候補者を、ひとりでも多く落選させることが、日本を戦争のできる国にしないための、今できる最大のたたかいであると思います。
自分の選挙区で、「改憲に反対し、なおかつ当選する可能性のある候補者」を見極め、支援し、投票することです。何党が好きとか嫌いとか言っている場合ではありません。
改憲へと歩を進める自民・公明に反対する人々から、もっとも多くの期待が寄せられている民主党は、改憲については態度を明らかにしていません。それぞれの候補者が、改憲に反対なのかどうか、有権者は個別に判断しなければなりません。
そこで、民主党の候補者全員に、9条の改憲の賛否を聞き、判断材料になる資料を作成したいと思いたちました。
民主党を改憲論争に引きずり出すのは、利敵行為ではないかと言う意見も多いようです。
民主党が、政党政治の方法論から改憲を争点にしないことを、必ずしも否定するものではありませんし、徒に分裂を望むものでもありません。
ただ、改憲反対の無党派である私は、改憲に反対してくれる候補者が誰かを知りたいのです。そう思っている人は、多いのではないでしょうか。
一方で、公明党は、「加憲」「9条は変えない」と言っています。もちろん、文言を加えることで換骨奪胎することも「改憲」です。全くのゴマカシであると言わねばなりませんが、このまま行くと、「9条守ろう」という票が、雪崩をうって公明党に流れることにもなりかねません。
候補者の、真の信条は、アンケートくらいでは分かりません。
また、この質問は全党の全候補者にするべきだという意見もあります。
どなたかお手伝いいただけるのであれば、そうしたことも第2弾として考えられると思いますが、現在の私の時間では無理があります。
というわけで、いささか手抜きではありますが、すこしでも「反対」のひと、「反対」に近い人を選べるように、下記のアンケートを実施したいと思います。
つきましては、反戦な家づくり・明月が発起人になり、以下のとおり、ブロガー諸姉諸兄の賛同を求めます。
1.下記のアンケートに「賛同ブログ」として名称とアドレスを記載します
2.回答の結果を、各ブログにて掲載してください
3.できるならば、多くのブログに賛同の呼びかけもしてほしい
+++++ ここからアンケート文面 ++++++++++
民主党 参院選候補者 各位
アンケートのお願い
日頃は、私たち生活者の暮らしのためにご尽力いただき、感謝申し上げます。
いよいよ参議院選挙が2ヶ月後に迫って参りました。 私たち、平和を願う国民は、固唾を飲む思いでこの選挙を迎えようとしております。
去る5月14日には、国民投票法が強行採決され、改憲への日程が始まってしまいました。 この参議院選挙で、改憲に賛成の議員が大勝したならば、何ものにも代え難い「平和」を守ってきたこの憲法の、なかでも9条は余命3年を宣告されたようなものです。
数の暴力でごり押しする安倍首相と自民・公明の両党への怒りは、民主党への期待と関心となって高まりつつあります。
しかし、残念ながら、これまでの何人かの民主党議員の方々のご発言から、「民主党はほんとうに平和を守ってくれるのか?」 という一抹の懸念を捨てきれないのも事実です。その迷いが、最悪の結果を招かないように、改憲に反対の候補者の皆さんを、微力ながら私たちも応援していこうと考えております。
そこで、お手数ですが、下記のアンケートにご回答いただけないでしょうか。
なおこれは、民主党を分裂させようという自民党の考えに沿ったものでは、断じてありません。投票にあたって、一人でも多くの国民に知っておいてもらいという、私たちブログを書く者の切なる思いです。
そのために、ご回答いただいた結果は、末尾に列記した賛同ブログおよびその他のブログ等に掲載・転載され、少なくとも数万人の読者にお知らせすることができると思います。
それでは、よろしくお願いいたします。
質問1 憲法9条を改変することに反対ですか。(YES・NOでお答えください)
質問2 その理由を、以下にお書きください。
期 限 公示1ヶ月前の、6月5日までにご回答をお願いいたします。
回答先(発起人) 反戦な家づくり・明月(http://sensouhantai.blog25.fc2.com/)
メール:info@mei-getsu.com
FAX:06-6720-XXXX(実物には実在の番号を書きます)
賛同ブログ(50音順)
++++++ アンケート文面ここまで ++++++++++
以上、賛同いただけるかたは、このエントリーに、ブログ名称・アドレスが分かるようにして賛同コメントを寄せて下さい。
賛同コメントの期限は、5月25日(金)24時とします。
1日に延べ数万人の読者がいるブロガーズの底力を見せようじゃないですか。
ただし、25日までに賛同ブログが20に達しないときは、「民主党はそっとしておいてやれ」とか「こんなことは新聞がやることだ」とか、要するに実施に反対の意見が多いと判断し、アンケートは中止したいと思います。ご承知おき下さい。
※なお、共同発起人であったSOBAさんは、ご自分のエントリーに書かれているように、発起人は降りられ、このプロジェクトは中止すべきだという立場を表明されました。
※「投票にあたって、一人でも多くの国民に知っておいてもらいという、私たちブログを書く者の切なる思いです。」というところ、少しだけ書き直しました。2007.5.17 18:52
※この記事は、ご自由に転載してください。
昨年の『毎日新聞』のおける秀逸な連載・「格差社会考」について [国内政治]
『毎日新聞』の社説における連載、「視点 格差社会考」は、同紙の第一人者的記者がそれぞれの視点から現代社会を斬っており、興味深かった。
ワタクシたち教育に関心のあるものにあっては、「政府がトップダウンで実施する科学技術政策も役に立つ研究を志向している。第3期科学技術基本計画は研究の『選択と集中』を掲げ、特定の科学技術への予算配分を高める。その影響で、研究者の自由な発想に基づく基礎研究が圧迫される恐れがある。大学の新陳代謝は必要だが、行き過ぎた競争原理やトップダウンで独創的な基礎研究が切り捨てられては困る。基礎体力のある大学だけでなく、地域に根ざした地方大学にもすぐれた研究の芽はあるはずだ」(『同上』4月17日付)といった、大学における基礎研究軽視について切れ味ある物言いをしていた記事に目がとまる。
儲けに直結しない大学の基礎研究は、企業からのスポンサードはほぼ皆無だし、文科省からの補助金獲得にも常に難儀している。COEからもはずれる。工学部系統の研究開発費が企業からあった際に、基礎研究系統はそのおこぼれに与ろうとするのだけれども無視される結果となる。工学部系統にいわせれば、「うちがもらったんや、なんであんたにまわさなあかんねん」ということである。大学は、多様な企業から研究開発費をもらう。医学部における製薬会社からの寄付金、開発援助金などは、「白い巨塔」が伝えるところであった。それぞれの専門におカネを渡すわけで、価値ある=金儲けになる研究ではないと判断されやすいところには、お金は流れない。
これにメスをいれる方法は、寄付金、研究開発費の窓口一本化である。学部や学科に捉われず、一括して窓口を設け、そこに流れ込んできたおカネを大学教授会でどう分割するか論議する。そして配分を決定するという方式である。こうすれば、いままで潤沢であった、あるいはあり過ぎた工学部系統のおカネが、基礎研究系統のところにいく。たとえ傾斜配分であっても、基礎研究系統は喜ぶに違いない。
しかし、繰り返しになるが、こうした方式を工学部系統、医学部系統は嫌うから、実現しないだけである。同じ大学であっても、分け前をやるものか、という感覚である。まして、文学部や社会学部におカネがまわるわけがない。生産性がない学部に、カネはいらんという理屈である。
大学の独立行政法人化に伴い、こうした姿勢は緩和されるのかと思えばそうではない。事態は一層悪くなっているようである。さすがは世界ではじめて工学部を誕生させた日本だけある。
こうした大学内部の「格差」をテーマにする社説を『毎日新聞』が報道する一方、当然ながら生活者の「格差」をも問題視している。教育者も生活者である。生活保護の問題にも関心を持つべきであろう。そこでは、「不正受給の問題が注目されがちだが、保護を受けられる基準以下の収入でありながら受給せずに暮らしている人たちは、実際の受給者の2~4倍はいるという研究者らの調査がある。生活保護を受けると世間にさげすまれるから抑制されているのも現実だろう」(『同上』5月9日付け)と、苦しい世帯が後ろ指を指されないよう質素な生活を守っている様子が描写されている。お父さんのおこづかいどころか、あすもみえない世帯が、400万世帯あるという現実である。
資本主義社会の成立は、労資関係の定立を意味するが、そこにはハナから摩擦があることを経済学者は指摘してきた。そのバッハ回路をもとめて、道徳や共生などの理念が動員されてきた。福祉関係者は、階級闘争が内在されている資本主義の欠陥を、社会権の主張を認める立場から是正しようと四苦八苦してきた。だが、もう、ここにきて、年間3万人以上の自殺者を生んでも構わないと考える政府にがぶりよられたようである。ここにはいわゆる「七輪自殺」も含まれるのだろうが、それだけ現代版「ぼんやりした不安」があることを指し示しているといえる。
イロイロな視点から格差社会を読み解こうとしていた『毎日新聞』のこのシリーズは、近年の『毎日新聞』の秀逸連載と評価できる。別建て会計でその存続を建て直した毎日新聞社が、今後も倒産の憂き目や身売りから自己を救い、一層社会の木鐸たる地位を固めることを極めて強く期待する2007年の新春である。あまり2chにケンカを売っている場合ではない。
MSNに乗っ取られるな!毎日よ!
迎春を汚す経団連の傲慢 [国内政治]
経団連が『希望の国、日本』(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2007/vision.html)を発表した。元旦から、これを読んでいた。経団連が究極の圧力団体であることはいうまでもない事実であるが、財界主体の政治的要求にとどまることなく、10年後の社会はこうあるべきだとぶち上げ、ミサイル防衛を推し進めるべきといい、憲法の変革にまで触れるのだから、経団連は日本の支配者たることを自負しているといえる。政治と共同歩調をとって、日本社会の実質的支配者たることを望んでいるのは、新聞各社が「首相寄り」とその論調をこぞって批評しているこのパンフレットの存在が如実に示している。読めば誰しもわかるように、まさに「首相寄り」であった。消費税増税プランを除いては。
経団連は、憲法の変革のほか、教育の再生、公徳心にも言及してくる。「政府の役割を再定義する」と言い切れるのは、企業の自信のあらわれか、それとも、傲慢の言か。だいたい一介の社団法人が国民政府を再定義するなどいえるのか。本来彼らが反省し主張するべきCSR(企業の社会的責任Corporate Social Responsibility)について言及する部分は、ほんの数ページである。以下、まず、『毎日新聞』(2007年1月1日付)の記事を紹介し、次に、このパンフレットの第2章の論旨を追っていこう。
『毎日新聞』(「同上」)は、「経団連:成長路線明確に 『御手洗ビジョン』発表」と題して、次のように報じた。「日本経団連(御手洗冨士夫会長)は1日付で、今後10年間の日本の進むべき道筋を示した『希望の国、日本』(略称・御手洗ビジョン)を発表した。規制改革などを実現することで、15年まで名目で年平均3.3%、実質で同2.2%の経済成長を達成できると試算し、成長を重視する安倍内閣の『上げ潮』路線に歩調を合わせた」とこのパンフレットを位置付ける。上で述べたように、相当首相寄りであることが、この新聞の記述だけでもわかるであろう。
つづけて、「一方で、財政健全化のため、『遅くとも11年度までには消費税を2%引き上げる必要がある』と明記した。/ ビジョンは経団連の今後の提言の基本になる。税制では、09年度の基礎年金国庫負担割合の引き上げ時までに、その財源確保策を含めて税制改正議論を深め、消費税引き上げにつなげる必要性を示した。一方で、産業の国際競争力強化のため、国・地方税を合わせた法人実効税率を10%引き下げるよう求めた。/ さらに、10年代初頭までに戦力不保持を定めた憲法9条を含めた憲法改正、中央集権体制を改めて、自立した広域経済圏を目指すため15年度までの道州制導入も提唱した」(『同上』)と報じ、つづけてこのヴィジョンの弱点を分析、指摘する。
「◇目標達成に難しさも/ 経団連の御手洗ビジョンは、御手洗会長が掲げるイノベーション(技術革新)や規制改革によって、『人口減少社会でも経済成長は可能』とのシナリオを描いた。しかし、15年度まで平均年2~3%台という成長率には、『希望を持てる社会にするために必要な成長率』(経団連幹部)という意味合いも強く、目標達成には高いハードルが残る。/ 中でも、社会保障制度の確立と労働力の確保は難題だ。ビジョンは、消費税率引き上げで、社会保障費を確保するとともに国債残高減額への道筋をつけることを提唱した。しかし、社会保障給付の伸びを抑制するための処方せんや少子化対策での具体策は示せず、将来に不安を残した。/ 労働力の確保策としては、女性や高齢者、若年層の積極活用を打ち出し、労働市場改革の重要性も強調した。そのために、現行の給与体系を含めて『労働関係諸制度の総点検』をうたう。労働組合などの抵抗も予想されるため、それとどう調和を図るかが、実現へのカギになりそうだ。/ また、ビジョンは国外から活力を積極的に導入する方向を示した。具体的には、アジア諸国を中心に経済連携協定(EPA)の締結を急ぎ、東アジア共同体の構築を目指す方針。ただ、国境を越えたモノや人の交流進展によって、国内の格差が拡大するおそれもある。国民の反発を招く可能性もあり、自由化の行方は見通せない」(『同上』)。これを読めばこのパンフレットの基本スタンスが判断できるが、もう一歩掘り下げて本文を精読し、問題点を洗い出してみたいと思う。
第2章「めざす国のかたち」の文面から紹介すれば、第1節に「精神面を含めより豊かな生活」を実現するといい、社会の絆を強め、安心できる社会を作りたいとまず述べる。それが豊かさだとする。そのため教育が動員される。「安心できる社会」の標榜は、すべての批判を許さない最も簡単な主張である。それはそうだろう。安心できない社会に住みたいと思うものはいないからである。書き出しがこうなっているのは、煙幕をあらかじめ張っているわけであって、ここで「いいこといっている」と騙されてはならない。
そして、法と社会規範以外のなにものにも選択の自由を疎外されるべきでないという。それが豊かさの必要条件であるというのだが、これは何を意図する記述なのか。そのまま読めば、大きくは、規制緩和後の社会において個人の、そして、法人の活動はその自立のために、法と社会規範以外の何者にも従わなくていいということをいいあらわしたものだろうが、これでは当たり前に過ぎる。
ここに欠けている視点は、「善」である。善の意志が貫徹してはじめて、法の下でワタクシたちは多様な活動をすべきであるのに、その意識がない。代わりにあるのは、いうまでもなく「成長」である。彼らにあっては、「成長」=「善」だから、そのためにはなんでもやる。政治献金も、法がそれを許せばなんとでもなると考えている。山吹色の品物は強い。消費税アップも「成長」の前では「善」と考えている。例の輸出戻し税の問題もある。
さらに、地方主導を実現するため道州制の導入をめざせという。道州制は地方活性化の方策である。つまり分散型経済成長の主張である。ここがこの社団法人の性格に最も合致する主張である。
分散型の広域経済圏の形成が、経済成長を可能とする残された道であるのは理解できる。その理由はこうである。高度経済成長の時代、大都市圏つまり東京・大阪・名古屋の3大経済圏形成による経済効率は恐るべきもので、ヒト・モノ・カネがそれぞれの都市に集中し、生産効率を上げた。ネコの額くらい狭いところに成長の手立てを総動員したのだから、それはそれは工業製品が多量産出され、消費者も買ったことであろう。けれども、ジャパネットたかたが売りに売りまくるようになっては、もうこうした旧来的手法では経済成長が望めなくなっている。重厚長大産業を保護する太平洋ベルト地帯的工業化も時代遅れとなり、行政枠組を新たにし、分散型による経済再生に賭けざるをえない。
ベルト地帯に関して補足すれば、経済効率至上主義は4大公害にみられるように、現代にまで負の遺産を送りつけているのをワタクシたちは忘れていない。失われたのは、決して取り戻すことができない人間の命と自然なのである。この繰り返しを現代に実演するのは愚の骨頂であろう。
「広域経済圏」構想とは、日本の国のあちこちにリトルトーキョーを作ることなのであろうか。リトルトーキョーといっても都市的なそれではなく「広域的」なそれかもしれない。いってみればリトルトーキョートを作るつもりなのであろうか。「広域経済圏」は社会資本の整備を改めて要請し、右手で自民党守旧派道路族と結び付き、左手でニュー自民と握手するわけで、経団連の融通無碍なスタンスが理解される。
この節の最後に、ゲーティッド・コミュニティを形成することで安全を取り戻すのは誤りであると追加記述しているところは、絶対王政をようやく超えた認識であるというべきか。いまさら城柵を張り巡らした商都からの脱却をいうのは、ICT社会にあって不自然な気がする。
第2節「開かれた機会、公正な競争に支えられた社会」では、法と社会規範の下では平等が絶対的に保障されるとする。平等が保障されていない例を巷によくみる市井の人間には理解し難い。公正な競争をいうのであれば、CANONは、プリンターインクリサイクル訴訟地裁判決を受け容れるべきだったのである。ここにも「善」はない。「インクがなくなれば、インクを詰め替えればいいものを、カートリッジごと交換しなければならないから、その高価で特殊なものを買うことになる。結局は、消費者が損をする仕組みである。これは消費者を惑わすものだ。というより、消費者をだますやり方である。それが正当な販売方法であろうか」というのは、我が意を得たりのコメント(http://www17.plala.or.jp/tokamori/printer0.htm)である。自社の利益追求のみを考え、消費者と環境に配慮しない傲慢な姿勢が認められるといえよう。特許権は認められなければならない法的価値であるが、地球規模の環境にまなざしを向けない貧弱な我利我利思想が「公正」の美名の下に意味を違えて活用される。経団連には一生加盟できないこの会社(http://www.recycle-assist.com/)に凱歌が上がる最高裁判決を期待したい。
話を元に戻そう。続けてこの節では、旧社会主義諸国の官僚制を批判しているが、日本の官僚制もそれと変わりないくらいの規制つまり締め付けをしてきたし、その締め付けを企業は味わってきたのではなかったか。日本は資本主義経済体制ではあるが、それは実質的に旧社会主義諸国ばりの「計画経済」によって作られてきたものではなかったか。
第3節「世界から尊敬され親しみを持たれる国」では、日米同盟の全方位的な強化を期待し、それが国際社会でアジア、アフリカなど他の新興経済プレーヤーに負けない必要条件であることを説明する。BRICsに対するジワジワかく汗を拭おうとしているといえる。親しみを持たれるためには外国人つまり留学生や観光客をたくさん呼んで、日本を知ってもらうようにするという。日本の経済社会の仕組みや伝統文化を理解してほしいそうである。一方、日本人のハイタレント化にも言及しICT能力に長けた人材養成を急務とする。そうでなければチャイナクロスやインディアクロスになるからである。
最後に、国連における日本の立場の向上を唱え、PKOを評価し、日米同盟下のMD充実に触れ、諸国に尊敬されるようにといって、この節を閉じている。
以上のような「めざす国のかたち」を勝手に主張し、経団連は国民に賛同を求めている。要するに『希望の国、日本』の根本的主張は、とにかく強い国日本を作りたいというところにある。しかも慎重に「国柄」という表現をとって「国のかたち」を示しているものの、これは「国体」ではないのか。
「めざす国のかたち」は、企業だけではなく、ひとぞれぞれであっていいはずである。教員もあるべき国家像をイメージしているし、労働者もそうであるはず。経団連が企業にだけ、こう表明し従属せよというのならわかるが、国・地方、国民にまで、このシナリオに加担してがんばれというのは、何かおかしくないか。
憲法、MD、教育など他領域にわたる、ある意味僭越な意見を経団連が表明するようになったのは、高度経済成長以来のことである。すなわちワタクシたちの国が企業国家として位置付けられたのが20世紀の中盤であったがそのとき以来である。徐々に力をつけ戦後すぐに借りた借金を完済した企業群は、国家を形成する他の領域にまで意見具申し、政治を経済の力で動かそうとした。政治は企業経済の実りをもらい、フトコロをあたため続けてきた。こう書いてくれば、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」をどうしても思い出してしまう。
こうした政治と経済の蜜月関係が来るところまで来たというのが、『希望の国、日本』の読後感である。ここまで政治に擦り寄りをみせて、同時に自己の目的を達成しようとするのもおぞましい。安倍首相か御手洗首相か、わからないくらいである。
「自由な市場経済は健全な民主政治に支えられる」と経団連はいうが、本音は、「健全な民主政治は、自由な市場経済に支えられる」であろう。これならまだいい。「表面的な民主政治は、搾取の市場経済に支えられる」だったら、目もあてられないからである。
経団連は、「成長の果実が枝もたわわに実り、ひとびとのわらいとさんざめきが溢れ、子どもたちの瞳は明日を映して輝く『希望の国』、その実現をめざして、経団連は成長への道を走り、走り続ける」らしい。だが、走るのはディープインパクトだけでよい。成長重視に善の理念がないのであれば、断崖に向かって走るようなものだからである。
窒息社会 [国内政治]
ワタクシたちの社会は、一体どうなっているのだろう、どうなっていくのだろう。新聞や雑誌ほかメディアの伝えるところから世相を手繰り寄せてみれば、非常なる不安を覚える。こんな社会でいいのだろうか、そんなため息交じりの気持ちしか、おこらないのである。
政治でいえば、呆れるおためごかしが罷り通っている。審議を尽くさないまま多様な法案を通そうとする政府自公。豚肉脱税の企業から汚れた献金をごっそりいただいている安倍政権。この安倍政権は、安晋会とAPAのグレーな関係、そして宗教団体との関係などによって、微妙に動揺している。耐震工作が必要であろう。2ヶ月でこれだけ疑惑が持たれる政権も珍しい。妖怪の血筋はホンモノである。
岐阜の女性政治家2人が火花を散らしている。例の復党問題からきているマドンナ対決である。そこには、郵政民営化反対議員が、禊を果たせば易々と古巣に戻れてしまう体質が確認される。渦中の人・平沼氏は、「俺がいないと参院選は勝てない」とタカを括っており、虎之助はなりふり構わず仲間にしたいらしい姿勢をみせる。だが、秀直は気に喰わないらしい。どっちもどっちに映るけれど、これなら亀の方が筋が通っててよい。その亀も本音は戻りたいのかもしれないが。
政治的節操というのは、もうない。政治倫理などクソ喰らえなのだろう。そりゃ、「政治家は使い捨て、総理も使い捨て」と臆面もなくいえる神経の持ち主が、ここ5、6年政治首班だったのだから、倫理などなくなるのもよくわかる。考えてもみよ、使い捨てと思っているのなら、だれが仕事に励むだろうか。内心こうした心境で政治を執っていたのかと思うと情けなくなる。100円ライター政治家が考えることは、私腹を肥やすことくらいである。ドロドログチャグチャである。
中央がこうなら、地方も真っ黒。福島、和歌山で首長逮捕、宮崎でもそうなりそうである。先の沖縄首長選挙でも、不在投票の異常な多さから、選挙そのものに疑惑を抱く報道も流れている。小文字の地方の状況はどうか。奈良市の公共事業談合はひどい。クジビキ談合の様子がこれでもかと映像で流される。なにが2900やねん。また、京都や奈良の公務員の勤務態度は言語道断の様相である。神戸でも公務員がお好み焼きを焼くバイトをしているのだから困ったものである。
経済でいえば、なによりも格差社会を演出する非正規雇用問題。きのうおとついのNEWS23でもやっていたが、日雇い労働ともいうべきワンコールワーカーの絶望的な生活をどう考えるべきか。ホワイトカラーエグゼンプションによる中間管理職の過労死も、すぐそこだろう。人間を人間として扱わないといっていい雇用形態は、この国に革命を勃発させる契機とならないのだろうか。遠くフランスでは第2次暴動が起こったというのに。搾り取るだけ搾り取るのが資本家の論理であり、多くの国民の犠牲の上に成り立つ景気回復傾向なら、徳川時代と変らない。近代人はどのように労働権を再確認し、生活を守っていくのだろう。このままでは間違いなく窒息である。この点、ワールドの雇用姿勢が他業種にも浸透することを願わずにはおれない。
ところで、経団連と同友会の主張の違いに乗じて、なにかできないものなのか。御手洗氏も足元で運動が起こっているから、連合が攻めるのも、いまをおいてないはずである。飲食サービス産業にようやく組合ができる時代である。高額時給ではじき出された若者の労働権をきっちり守ってやってほしい。そのためには、民主党ももう少し支援するべきである。瑞穂・清美に力がないのだから。だが民主党も、自民と色合いがさほど変らないから、国民からすれば悲惨である。
財政でいえば、どこまでいっても減らない国債残高。もう10年もすれば、みせかけでも国、地方の合計借金は1000兆円を超えるだろう。ちょっと償還されて喜んでいる場合ではないだろう。法人税課税の上限をもっと上げるべきである。企業の利益は上のような非正規雇用に支えられている。300万の非正規雇用労働者よ、メイドの服着てデモするだけでなく、同盟罷業を遂行してはどうか。
そして、年金。100年安心プランはどこへいったのか。公明党の坂口氏が大言壮語していた年金構想は、たった2年で崩れ去った。ウソばっかりである。合計特殊出生率の予想の甘さから、現役時給与の半分保障は夢となった。「将来何人子どもを生みたいですか?」という予想数値を元に徴収金額と年金支給額とを計算するという砂上楼閣的な年金制度見直しが実施されるといわれている。国民年金なら毎月1万4000円余り払う。支給は将来70歳以上からに決まっている。しかも、月2、3万円に支給額減額だろう。紳介ではないが、「老後が心配」と70歳の老人がぼやく時勢である。苦しい労働環境にいる非正規雇用労働者も、年金の網に完全にかかる。企業が天引きするのである。企業もこれには猛反発だか権力には擦り寄っていくに違いない。
教育でいえば、児童生徒の自殺問題、必修科目未履修問題、教育基本法改正問題。連鎖自殺にワタクシたちの言葉の虚しさを実感した。いくら新聞など多様な媒体が自殺防止のコメントをタレントに書かせても、文科省がアピールを出しても、とまらない様子である。基本法改正反対で愛国心の強制を批判した北海道のある中学校には、脅迫文が舞い込む事態である。「愛国心は麻薬」というが、健全な批判的精神を強奪するもの、それが愛国心賛美の怖いところといえよう。非宗教的宗教国体の亡霊が甦りそうである。タウンミーティングのインチキは、与党自公のごり押しで、折角設置した調査委員会も報告しなくてよいという低たらく。この仕事は野党がするのが筋である。権力がごり押しをするようになれば、末期である。筋が通らないことをいってみて、それが通ってしまった、無理を通せば云々で、味をしめるのが権力である。これで、何をやってもいいと権力が麻痺しなければよいのだが、公明を政治的仮死状態に持ち込んでいるので、自民の嵐のような暴走は野党諸派を蹴散らして進むことが予想される。
こんなふうに国民が選んだはずの政権が国民を愚弄することばかりしている。学校には外部評価を厳しく求める再生会議、しかし主宰の安倍は隠蔽の鬼。馬鹿げている。
一方でセクハラ教師の多発。京大教授も女性の身体を触る始末である。矢野氏以来である。カネも地位も名誉もあるのに、なぜトチ狂うのか理解不可能である。それからもうひとつ、児童に包丁を突きつけた広島のある教員に、やはり教壇復帰はないのだろうか。これは相当難しいだろう。
こうした単発の事件が起こるたびに悪く評価される教育現場だが、いじめ相談が増え、いじめる方も相談したいという、どうコメントしていいかわからない状況に陥っている。いじめ多発だけではない。崩壊している学級はかなり多い。いじめの数値過少報告と同じで、学級崩壊や対教師暴力の数値も過少申告されている。騙し騙しはもう通用しない現場だといえる。文科省の手先の教委に意味なし、現場がなんとか「再生」する道は、隠蔽をしないこと、これしかない。評価を気にして自分で自分のやりたいことを封印している教員よ、立ち上がってくれ。
メディアでいえば、NHKの政府への屈服は言論統制の兆しでもある。「命令放送というから悪い、少なくとも言い方を変えなければならない」と虎之助はのたまったが、これにはビビル。なぜなら、外見変えて中身、つまり命令的であることは、そのままでいいといっているにほかならないからである。
ここに共謀罪が成立すれば強烈な独裁政治が生まれよう。叩くべき強力な左翼が不存在なまま、ライトウィングが膨張し強化する。これが日本型のナショナリズムの特徴である。「日教組解体」などと森や昭一がわめいているけれども、内心はそれほど怖い敵だとは思ってもいまい。そう発言することによって体制強化の助走にしているだけである。謙抑性がなくなれば超警察国家のできあがりである。経済は規制撤廃、思想は束縛、自由の在り処が不自然な現実である。
大人社会は、もう、死に体である。高度情報化社会とか、国際化社会とか、カッコのいい形容は見せ掛けである。希望ある将来社会がみえない。21世紀の最初の10年間は、おぞましい社会への舵取り期間となった。そのかみ、啄木は時代閉塞の現状と的確に社会を評したけれど、啄木が現代を評しても、このようにいうのではないか。情報が公開される度合いは格段にすぐれている現代であるのに、この無力感はなんなのだろう。暗い世相である。この社会がいい方向に向かっていると考える知識人がいるとすれば、その知識人は、断じてまともではない。なるほど国家の末期とはこうしたような状況なのか。
ワタクシを含めるかどうかはさておいて、ごく普通の国民は、ぼんやりとした不安を自覚したくないかのように、ギリギリの生活を営んでいる。倫理が政治から削ぎ落とされ、市井の人びともカネに絶対的な価値をおき、美徳を忘れてしまった。近未来に投資するのも自業自得やもしれない。そうした社会に生きる大人が、子どもに何を注意できるのか。何が正しくて、何が間違っているかを判断する能力など、現代では必要でないらしい。これなら教育・学問など不必要だろう。いかに従順であるか、その内容がよいことであろうと悪いことであろうと、上意下達、いうことを聞くのがお役目。人生を守り家族を守るためには耐えなければならない。軋んだ精神。割かれる心。軍国精神の経済版である。個人が潰されていく。
21世紀は、人間の生きる生き方を示してくれる偉大な哲学者の出現を望んでいる。まちがっても、それは宗教的指導者ではないし、使い捨ての政治指導者でも、腐敗した政治指導者でもない。ロマンティシズムや啓蒙では欲望充ちたこの社会を生きる指針を示せない。そうしたドロドロの地盤から発生するのは、チョビ髭を生やしユニフォームを着た人物と相場は決まっている。国旗に敬意を示すよう強制。危うい。そうした社会にワタクシたちは生きている。
裁判員制度 [国内政治]
ワタクシは、人など裁けない。裁く自信がない。全知全能の神でもないワタクシが同等の人間を裁くことなどできない。だがひょっとすれば御呼び出しがあって裁く立場に立たされるかもしれないのである。
政府の司法制度改革が着実に進んでおり、数年以内にアメリカ的な陪審員制度が導入されるようである。日本ではこれを裁判員制度といっている。
刑事裁判に判決を下す極めて責任の重い仕事に、国民は耐えきれるのか。古くは太政官布告に対しありがたくハハッーと頭を下げて受容し、欽定の憲法を素晴らしき哉、東洋初の憲法よといって中身を読まずに奉る。そうした歴史は、兆民など数少ない政治的イデオローグをのぞいて、国民の権利意識や法意識の低さを残念ながらあらわしており、それらの意識は大正、昭和と引き継がれ、経済成長の裏で一層希薄になり、現代に至っているのではなかろうか。
たとえば元総理森氏の、投票に行かず家で寝ておればよい発言が記憶に新しいが、この発言を許す精神的な雰囲気が国民に存在するがゆえに、出るべくして出たといっていいであろう。逆にいえば、森氏の心に権利意識が低い日本人という愚民観があるから、ポロっと出たとみてよい。この発言に対する反発はほとんどなかった。あったとしても夏の花火と同様であった。
河岸を代えてブレアが議会発祥の地イギリスの国民にこの言葉を発したら、あきれてイギリス国民はイスから引っくり返ってしまうにちがいない。
どのような権利であれ、国民自らの手で権利を獲得した経験に乏しい日本人は、森氏の発言をも不問に付すお上意識が根強く残っていると反省せざるをえない。この発言が世界に報道されていたとすれば、これを耳にしたヨーロッパ人たちは、なぜに日本人はこうもなめられておとなしいのか、信じられん、と吐き捨てていることであろう。
一人ひとりが投票を行使できる参政権の意識=基本的権利意識でさえこのように低いのに、はたして人の一生を左右する刑事裁判を担当する法意識を保てるのか。
だが、ワタクシたちは自己の権利に関する歴史的な出生の秘密を暴いたところで、ジクジク反省こそすれ成長がない。ではどうすれば法意識や有権者意識を伸張させることができるのであろうか。
それは教育以外にはない。しかしそのための教育も、つまり公民教育も、戦後一貫して実施されてきたはずである。それは哀しくも森発言を促す公民教育であった。義務教育段階で国民に公民教育を根付かせる努力は、今度はじまる裁判員制度のために継続強化される見込みである。
法務省「法教育研究会」は法教育に意欲的な教員の充実を願っており、かつ法教育のための学校教材の作成に熱を入れている。是非とも今までにない有効な法教育への舵取りを期待する。それから、それとは別に、法務省には、はっきりと裁判員拒否の権利も条文化するよう願いたい。







