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日本の伝統文化として2章9条は燦然と輝く [教育問題]

 どのようにして後進に日本の伝統文化を伝達していくかは、日本の学校に課せられたひとつの使命である。だが伝統の教育というと、いかにも保守的な響きがあり、これに賛同する右よりの勢力もあれば、反発を感じる革新団体も多い。

 歌舞伎や能の芸、あるいは華道を楽しんだり、柔道や相撲などの伝統的な競技つまり国技をとったりし、こうした芸や競技に理解を深めることは、伝統を尊重していく態度にほかならないだろう。「礼にはじまり礼に終わる」というが、こうした態度は西洋のスポーツ、たとえばハナから「メンチ」を切り合うボクシングにはない精神であり、日本における「道」とは何かを世界に示すものといっていい。また、日本現代史の舞台では、ワタクシたちの先輩が憲法9条を獲得した経緯があり、この経験は侵略戦争に対する反省を常に自覚する伝統を形作っている。

 天皇の戦争責任は軍解体を必要条件として免罪され、ウルトラナショナリズムを実現した天皇制領袖官僚たちは、勝てば官軍式の東京裁判で断罪されたが、その「御霊」の存在は、いまも日中関係だけでなく、アジア世界全体を気不味くする靖国問題として燻り続け、多くのアジア人の怨みの対象となっている。このあたりの正確な理解あるいは個々人の自主的判断つまり自覚は、21世紀を背負って立つことになるいまの児童生徒に欠かすことができない伝統的な学習内容である。

 以上は、「日本の伝統文化」の内容をなす。

 では、「日本人としての誇り」や「日本人としての自覚」というとき、これはなにを指すのであろうか。前段のような歌舞伎、能など世界に発信すべき価値ある伝統は、日本の誇りとして認定されるべきであろうか。それはそうであろう。また、遠く、源氏物語の文学美や、近く、村上春樹文学は、世界各国の文学者に等しく高評価を受けているし、世界中で読み継がれている。これはまさに日本の誇りである。日本の自然科学的な技術も、世界中に利益をもたらしている。

 諸外国において極めて故障しにくく燃料をさほど喰わない日本製の車が走っていたり、キレイな画像を提供するテレビあるいはコンパクトなPCが外国人によって使われていたりすれば、自分が作ったものではないにせよ、あるいは赴任先の“現地”において日本技術の優秀性が実感され晴々しい気持ちになるであろうし、「日本人としての誇り」のバックボーンを形成するかもしれない。

 物質だけではない。文学のほか、憲法9条も世界に誇るべき価値を持っている。60年の伝統を誇る、平和を祈念する美文でもある。諍いの絶えないこの世界で、これほどの平和的主張は、ほかにあるだろうか。この9条が戦後世界において新しい平和状況を構築する契機になったし、世界が9条をみて、自らの暴力行為の愚かさを照らし出す鑑にもなっている。

 たとえば、フォークランドなど、戦後世界の単発的な局地的軍事紛争が終わるごとに、この9条の価値に磨きがかかったのは、命を大切にすることを信条とする人びとの実感に違いない。今度のイラク戦争に特別措置として法律まで作って、アメリカにそそのかされてわざわざ「参戦」し、その法律が期限延長される現実を前にして、この9条という鑑に自らの姿を映すとき、ワタクシたち日本人は恥を感じないだろうか。一抹の恐怖を感じないだろうか。

 日本が世界に輸出する思想的伝統、技術的伝統は、こうした価値ではあるまいか。

 さらに問えば、「日本人としての自覚」は、一体なにに基づくのであろうか。「自覚」は「誇り」に裏打ちされるものであろう。上に挙げた日本が世界に誇る価値を個々人が自覚すれば、それがそのまま「日本人としての自覚」を強めるだろう。歌舞伎や柔道、源氏や9条に日本人としての自覚を基礎付けられた国民は、その価値を世界に伝達する使徒となる。あやふやな言説や自分で確認しないウワサに基づく「自覚」は、正しい「日本人としての自覚」とはいえない。また、単に法律上の文言である「国を愛する心」の強制から、「日本人としての自覚」を持とうとするのは賢明な姿勢ではない。

 兵庫県立高校では、2006年春から、学校設定科目として「日本の文化」という名称の授業時間を設置した。受験の関係から日本史を選択しない生徒が増加し、日本史学習を通して学ばれるべき「日本人としての誇りと自覚」が失われているのではないかという危機感が、設置の根拠のようである。もうそろそろ結果がでる頃である。

 この「日本の文化」の教育内容が、先に示した歌舞伎や柔道、源氏や9条なら、いうことはない。歌舞伎や柔道は体験だからおくとしても、机上で日本文化を検証するにあたって、日本の歴史的個性を各時代に確認し、絵画、彫刻、文学、芸能、思想、倫理、そして中でも、上で力説した2章9条の価値を学ぶことは必須だろう。近現代史学習から「伝統」学習としての憲法学習を抜くことはできないといえよう。

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